イタにち日記。

イタリアでの生活、外から考える日本のこと、感じたことをつれづれ書いています。   何よりも数年後の自分自身がこの感覚を忘れないように。

色と男と女。

5月23日晴れ。

 

今年は変な天気続きのミラノ。

1年で一番快適に陽も長く過ごせるはずの今、

特に週末は雨ばかり。

コートもクリーニングに出せないなぁ。。。

着込み癖がついた矢先、

突然暑くなりだして身体も服も追いつかない。

 

こちらの言い伝えで1月末がうーーんと寒いと

春の訪れは早く、長いとここにも書いたけれど、

 

miaamica.hatenablog.com

 

蓋を開けてみれば、

「・・・(嘘だった?)」という感じ。

 

タイトルの話ですが、

そしてこんなことをブログに書いていいのか分かりませんが、

2月くらいに観たボヘミアンラプソディ以降、

私の中でとても同性愛が気になっている。

今、日本でも話題になっている「きのうなに食べた?」も

大好きで、毎週心待ちにしている。

 

私がボヘミアンラプソディを観てからというもの、

子どももクィーンが大好きになってしまい、

映画を観たい、観たい、観たい、観たい、観たい、

ものすごく観たい!!!

 

私としても曲を作るシーンなどは特に見せてあげたい反面、

見せたくないなぁ、どう説明しようかなぁと思っているシーンもあり。

 

という話をママ友としていたところ

同性愛、トランスジェンダー、服の色の話に。

 

イタリアに来て意外だったことの一つ、

子供服の色。

 

さぞ、イタリアはオシャレで色彩も豊かだろうと思いきや、

男児は白、黒、青、緑、紺、グレー

たまにベージュや赤、黄色という感じで、

日本の方がずーーーっとカラフルでデザインも豊か。

一方、女の子の服は色の制限なく超かわいい。

 

 

という感じで、ピンクを着ている男の子って、まず見たことがない。

中には、おもちゃなど子どもが手にするものから

徹底的にピンクなど女の子の色を排除する親もいるそうで。

 

これはよく言われる、

ここイタリアはバチカンもあり、

カトリックの国だからかなーと

思っていたのだけれど、

イタリア語は単語が性別を持っているのが

大きな理由でもあるという話になった。

 

とても興味深い。

 

言葉に性別のない国からやってきた私を

未だに苦しめる、女性名詞・男性名詞たち。

 

「友達と出かける」

「I go out with one of  my friends」

「Vado con il mio amico(男友達)/la mia amica(女友達)」

てな感じで、

思春期も出かける人の性別を隠すのは難しいこの国。

 

だから、色も男の子の色、女の子の色、

常に区別されてきているわけで、

女の子の色を男の子が身に着けるのは

言語からの感覚的にも難しいのであろう。

 

東京にいると色々な人が集まるからなのか、

同性愛の人たち、いやそれ以上に女装している男性を

割とよく見かけていたから、

私は、親に教えられる云々よりも

あーこういう人もいるんだなぁと思った世代。

 

ミラノに来てから一度だけ明らかに女装していた

男性を見たことがあり、

一度だけ手をつなぐ男性カップルを見た。

この4年で一度。

 

日本よりも人種的には豊富なこの国も、

ジェンダーに関しては日本よりも後進的なんだなぁと

いうのが私の肌感覚。

 

だから、ボヘミアンラプソディを映画館、

いや、高齢者の多い劇場施設で観たときに感じた違和感は

当然だったのかもしれない。