イタにち日記。

イタリアでの生活、外から考える日本のこと、感じたことをつれづれ書いています。   何よりも数年後の自分自身がこの感覚を忘れないように。

太っ腹なイタリア人と日本人。

 

ミラノに来て4年、未だに慣れず、

そしてどうして良いかいつも困るイタリアの習慣がある。

 

ここに暮らす日本人であれば大なり小なり

必ずぶつかる文化の違いなのではないかと思う。

 

それは、イタリア人はなぜか、日常的に奢り合うこと。

 

私がケチなことは十二分に分かっている。

日本だと友達とお茶やご飯する時に

奢ることって上下関係、お祝い事など特別な時を除き

(ちなみに、イタリアは主役が奢る…)

ざっくりだとしても割り勘が主流?なのは

私の生きてきた環境のせいか、

はたまた、

私がそれを周囲に強要してきたのかもしれないと今更不安になる。

 

いやいや。

でも。

一緒にスタバに行くとして、

後輩のは出すことあっても、

友達と行けば自分の分だけを買うよね?

 

むしろ、上下関係で奢る文化なゆえに

明らかな年齢差であればその懐に甘えるけれど、

対等であろうと思う関係であるほど、

友人であれば当然。

男に奢られることにも私は嫌悪感を持つタイプだ。

 

一方、ここでは朝のバール、ランチ、ちょっとコーヒーを飲むとき、

アペリティーボ、何かと誰かが払おうとする。

 

もちろん、一度に100€とか大そうな額ではない。

でも、朝のバールとてメンバーは入れ変わるし、

誰が何度払ったとか

当然ながら誰も管理していない。

私は次回、誰々の分出さなきゃ!と考えたりするのが心底億劫だ。

 

しかも、さらに気を重くさせるのが

誘うときは奢らなきゃいけない空気感。

それは子どもでも。

 

例えば日本で、子どもだけが友達家族にプールに連れていってもらうとする。

子どもにお財布を持たせて、チケットやお菓子や飲み物など

最終的に相手家族が出してくれることもあるかもしれないけど、

迷惑かけぬよう自分で買う準備を持たせるのが一般的だと

思って生きてきた。

が、こちらは誘った家負担。

 

ってことは、誘われたもの勝ち?(苦笑)

(もちろん、時と場合による)

 

なので、逆に誘われたときに

ひょいひょい誘いにのっていいのか

とても悩ましい。

 

放課後ちょっと遊ぶくらいの家を訪ねるのは

手土産不要。

これは本当に楽だ。

旅行に行ってもお土産を買い合う文化もない。

 

つまり、そんなちっさいこと考えていないで、

自分が気が向いたときに払えばいいということなのだろう。

 

でも・・・

私にはそれが気が重い。

 

普段、朝のバール談義には来ないクラスメイトのお母さんが、

「今日お金がないんだけど、誰か私にCaffè奢ってくれない?」と

やってきた。

 

周りのイタリア人たちは全く意に介さない様子だった。

 

私にはできない技だ。

マジで爪のアカを飲ませてほしい。

 

そしたら、このリズム感にかけているイタリア語が

もう少し滑らかになるだろうか。