イタにち日記。

イタリアでの生活、外から考える日本のこと、感じたことをつれづれ書いています。   何よりも数年後の自分自身がこの感覚を忘れないように。

在宅勤務は卑怯者ですか?

今回のコロナウィルスの件で、

日本の様子と、ここイタリアの様子を同時に見ることができてしまったがために

元々、今の日本にネガティブだった私の見方は

さらに加速して地の果てまで落ちた感じだ。

 

その中でも、普段意見の合わない私たち夫婦が

一致して全く理解できなかった日本の反応について書こうと思う。

 

すごくTHE日本の価値観な話しだけれど、

理解不能になってしまったのは、

私たちがイタリアにいるせいなのか?

それとも彼らとのジェネレーションギャップなのだろうか?

 

 

夫のミラノオフィスの責任者は現地イタリア人で、

その人の判断ですぐに在宅勤務、

それができない場合も時差出勤することが決まった。

 

ネット環境も整っている夫は、在宅勤務をしている。

しかし、バックオフィス系の人のPCが

残念ながらデスクトップなので

通勤を余儀なくされている人もいる。

彼の一部の部下も例外ではない。

 

この状況を見て、東京オフィスの人は夫に

「在宅勤務をする自分は卑怯者だと思わないのか?」と言ったらしい。

 

・・・

分かりますよ。

その日本の感覚。

確かに夫が出勤したら、出勤せざるを得ない人たちの

「なぜ自分たちだけ」という気持ちは

少し紛れるでしょう。

夫の責任もあるかもしれない。

でも、こんな事も想定しノートPCへ切り替えなかったのは会社。

夫が出勤しても、コロナウィルスに関しては何も改善しない。

寧ろ、1人感染する可能性のある人を増やすだけだ。

そのリスクを皆んなで仲良く取るべきだと言いたいのだろう。

 

日本の全体主義、

連帯責任的な考え方の象徴。

 

イタリアは元々在宅勤務が進んでいて、

定期的に例えば週一などで在宅勤務を義務付ける会社も

どんどん増えている。

 

だからか、子どもの学校が休校になっても

日本のように騒ぎ立てられていない。

元々、夏休みの長期休暇で祖父母なりが

面倒みる土壌もあるというのもあるだろう。

 

 

日本でも青天の霹靂のように休校が決まり、

子どもがいる社員への配慮と理解を促していた。

 

でも、私からしたら子どもがいようがいなかろうが、

在宅勤務できる人はするように言うべきだ。

子どもが自宅にいることの前に、

要因はコロナウィルスの感染を抑えることであり、

そもそもの病気になるリスクは同じ。

 

でないと、産休や育休と同じように子どもが

いな人にばかり負担なり不公平感が残り

肩身が狭くなるのが目に見えている。

結局、子どものいない女性か

専業主婦を持つ男たちだけが残れる社会になるのだ。

いつまでも、この考えに行きつく社会なんだな、日本。