イタにち日記。

イタリアでの生活、外から考える日本のこと、感じたことをつれづれ書いています。   何よりも数年後の自分自身がこの感覚を忘れないように。

イタリアのトイレとデンマークのトイレで思う日本のこと。

 

周知の事実を今更書こうと思っています。

ヨーロッパ内を旅行していて感じるのは

イタリアの公共トイレは、

ヨーロッパ内でも群を抜いている。

 

便座がない。

便器が大きい。

便座が高い。

そしてなぜか手前に窪みがある。

 

日本人にとって本当に本当に使いにくい。

大柄ではないイタリア人なのに、足の長さの違いを感じる瞬間だ。

 

男女別だとまだマシだけど、、、共用は絶対避けたい。

 

 

この国で子どものトイトレとか絶望的だ。

 

こっちにも、和式(というかトルコ式らしい)が存在し、

最初見たときは驚いたし、

やっぱり使いにくいけれど、

今となってはこっちの方がちょっと気が楽だったりする。

 

飛行機で飛び立ち、イタリアの外に出てトイレに入った瞬間、

あーーーここはイタリアじゃないんだなと思う。

 

とにかくそんなレベルだ。

 

この夏、デンマークに行ったときに

当然ながらトイレへ何度となく行って

やたら男女一緒のトイレが多いなと思っていた。

(デンマークについて不勉強のまま行ったので)

 

最終的に、近年、あえて一緒になったことに気づいた。

 

この場合、女性側に集約されるので、

明らかに男女分かれていたであろうトイレの入り口があるのに、

今は1つの入り口に男女のマーク。

 

ジェンダーフリーというやつか。

 

イタリア人の使い方では心底勘弁してほしいと思うけど、

途中まで気づかず、嫌だとも思わないほど

そこはキレイだったのだと思う。

 

異性の子どもを持つ私としては、

一般的な男女分かれたトイレがちょっと問題で、

今は場所と状況に応じて、

つまり慣れない場所や人が治安が気になる場合は

女性トイレに連れて入る。

 

男性トイレに一人で行かせる場合は入り口の前で待つ。

(もちろん中の個室ではなく、外の入り口で。)

 

イタリアだと子どもを一人にしてはいけないから、

今まで1度を除き何か言われたこともないけど、

もちろん、限界はあろう。

一体、何歳くらいまでこれが許容されるのだろうかと思っていた。

 

という中で、デンマークスタイルは

そんなこと考える必要もなく、とても楽だった。

きっと、女の子目線だと違うのだろう。

でも、少なくとも今の私には男だ女だと考える必要がないのは助かる。

 

日本だと温泉施設を見る限り、小学1年生が1つのラインと思われ

男の子は女性浴場には入れない注意書きがあった。

実際、子どもも色々口にするから無邪気に連れて入るのも

ためらわれる様になってきたので、分からなくもない。

でも、かといって、

1人で男湯に行かせられるか?

 

母子家庭は温泉も行けないのか、と思った。

 

私の知る限りこの3か月で2回も

東京近郊で幼稚園年長~小学生低学年の男の子が、

男性に男子トイレで性的嫌がらせを受けた事件が起きている。

 

その場では連れ込まれた恐怖やショックが大きいだろうが、

成長し、その真意と事実を知った時、

心にどんな傷を負うのだろうか。

想像を絶する。

 

「知らない人についっていってはいけない」

そんなこと子どもだって百も承知で、

犯人だって、飴をあげて

(今時、飴なんかで釣られないだろうけど)

近づいてくるのではなく、

私の想像だけれど、

「扉が上手く閉まらなくてちょっとの間抑えていてもらえないかな?」とか、

「荷物持つの少し手伝ってもらえないかな?」とか、

相手の善意を利用して連れ込むんじゃないかと考える。

 

こんなの、子どもの非は全くない。

 

そろそろ、本気で気づいてほしい。

日本は、子どもを1人で外を歩かせてはいけない国になっているということを。

 

事件を起こすレベルの小児性愛者は外国だってゼロではないだろう。

イタリアでも時折ニュースを見かける。

でも、明らかに日本は多い。

それは、たぶん昔からの日本人の価値観が影響しているのだろう。

 

中年の男性が10代の女の子を追いかけたり、

30代40代の女性が10代のジャニーズにキャーキャー言ってるのは

多分外国人から見たら異常な感覚なのだと思う。

これは日本のカルチャーだ。

否定するつもりはない。

 

でも、子どもは守ってあげたい。

せめて、送り迎えをしている人に過保護と言うのはやめてほしい。

 

日本に住む友人に子どもの下校時どうしているのか聞くと、

迎えに行ってる友人は一様に、ちょっと躊躇った感じで

「迎えに行ってるんだよね…過保護かもしれないんだけど…」という。

 

挫折や苦労から遠ざけようとするのと、

身の危険から守るのとは意味が違う。

(過保護のカホコ見てからの追記。苦笑)

 

イタリアの汚いトイレとは全く脈絡のない流れで終わります。