イタにち日記。

イタリアでの生活、外から考える日本のこと、感じたことをつれづれ書いています。   何よりも数年後の自分自身がこの感覚を忘れないように。

今ごろ目の当たりにしている、イタリア社会。

6月3日からいよいよ、州の境も開く。

暫くはとりわけ状況の悪いロンバルディア州は

様子を見るだのなんだの言われていたけれど、

全国一律には入れたようだ。

正直押し切ったように見える。

 

状況は日に日に良くなっているし、

生活も日常になりつつあるのに

私はとてつもなく心が重くなっている。

 

理由はいくつか思い当たるのだが、

そのうちの1つは、

今、私はイタリア社会のすごく嫌な部分を

目の当たりにしているからに思う。

 

私の周りにいるイタリア人は

飛びぬけたお金持ちはいないけれど、

皆、仕事は安定しているし、

子どもも私立に通っている人も多く、

Seconda casaと言われる別荘を持っている。

 

だから彼らは今、

バカンスのことで頭がいっぱい。

 

いつものように気軽に

外国の海には行けないかもしれないけど

海に山に、十二分に選択肢を持っている。

 

ミラノの自宅から第2の家へ場所を移すだけで、

人を集めるわけではないし、

その海の家でもスマートワークをしたりするのだろう。

 

一方で、このCovid-19で生活が苦しくなっている人は

バカンスどころではない。

仕事を失い、

新しい仕事が見つかる希望も薄い。

彼らが見ている先はちっとも明るくない。

 

余裕のある人たちが

悪いことをしているのではないから

批判したいのでは決してない。

 

ただ、この明るさと暗さが目の前にあって、

私は、心が押しつぶされそうになる。

 

そして、自分の周りにいる人たちの余裕さに

気持ちが全然ついていかないのだ。