イタにち日記。

イタリアでの生活、外から考える日本のこと、感じたことをつれづれ書いています。   何よりも数年後の自分自身がこの感覚を忘れないように。

イタリアの共同親権

 

タイトルの通り、イタリアは共同親権の国で

日本との違いをまじまじと感じる点でもあり、

以前から書きたかったこと。

 

イタリアは結婚しても夫婦別姓で、

子どもは父親の姓を名乗る。

親が離婚をした場合でも18歳まではそのままで、

要は、成人になると選択できるようだ。

 

子どものクラスにも離婚というか

パートナー解消したカップル?夫婦?が何組かいて、

最近また増えて、、、と珍しいものではないし

日本ほどのやたらめったらなシングルマザーへの同情や悲壮感はない。

ように私の眼には映る。

 

子どものクラス会には2人ともに出席し、

子どもの決定事項は2人で相談し、

子どもと過ごすのも半分ずつ、

つまり、経済的負担も半分ずつに近いはずだろうと想像する。

 

一方、日本の単独親権だと、

多くの場合、母親が親権を持つことになり

離婚してようがしてなかろうが、

こういう社会的背景が

日本の男性の育児への責任感が

薄いことにもつながっているのではなかろうかと、

クラスメイトの家族の在り方をみて感じていた。

 

日本はDVによる離婚がまだまだ多いがゆえに

単独親権からの移行はすごく慎重であるべきだと思うものの、

そうではない、

価値観が合わなかった系の離婚などの場合

片方の親一人の意思で会う回数を最低限にしたりするのは

子どもにとってはどうなのかなぁ・・・と思っていた。

 

そんな中、先日ママ友たちとの会話で

1週間を父親と母親のもと半分ずつ過ごす子どもの

ふいに出た一言が話題になった。

 

それは少し前にも書いた林間学校から帰ってきた

バスを降りてまずの一言

「今日はどっちの家に帰るの?」

お見送りもお迎えも父親も母親も両方来ている点は置いておこう。

 

「今日はどっちの家に帰るの?」

 

ママ友たちは切なくなったらしい。

 

確かに、

確固とした

ただ1つしか存在しない

「自分の家」

というものがこの子にはない。

 

そして、1週間を半分に分け行ったり来たりする生活は

子どもにも負担だと両親考え始めていて、

1週間単位にしょうかと相談中らしい。

 

みんなそれぞれ事情がある。

正解はなく、ベストを探りながら

一生懸命なんだろうなぁと想像する。

 

でも昨日、この親子と話してたら

「私たちの家」という言い方をしていたから

案外、私およびママ友たちの先入観も手伝って

この子どもの一言に強い印象を感じてしまっただけなのかも。