イタにち日記。

イタリアでの生活、外から考える日本のこと、感じたことをつれづれ書いています。   何よりも数年後の自分自身がこの感覚を忘れないように。

今日のミラノ。

2か月ぶりに外に出た。

夫の話通り、マスクを着けている以外は

歩く人の数とか前の普段と変わらず、

すれ違う時に距離をとるように

お互い気を付ける。

 

マスクは6歳以上は着用義務だけれど

時に着けていない人がいたり、

マスク外してタバコ吸ってる人もいるし。。。

 

大丈夫だろうか。。。

 

多くのレストランが

デリバリーとテイクアウトで再開しはじめた。

選択肢が増えるのは嬉しい限り。

 

魚介の美味しいお店で、

Primo Piattoがパスタしかなかったのが

デリバリーに合わせて

リゾットがメニュー入りしたことに心躍ってしまう。

そして、何よりも通っていたお店の再開は嬉しい。

 

イタリアは以前も書いたけれど、

レストランでの飲み物の料金は

凡そスーパーで購入する2倍という感じ。

日本ほど飲み物に乗せていない。

デリバリーだと必然的に飲み物のオーダーは減るだろうけれど

料理の値段は店内飲食していたころと変わらないお店が多い。

何とか頑張ってほしいな。

 

新しい生活が始まった。

そんな気分。

 

 

 

ついに来たPhase2。

今日5月4日から、約2か月ぶりに

イタリアがPhase2と呼ばれるステージに入った。

 

昨夜、友人から送られてきたメッセージ

「4 Maggio is the New Capodanno」

(Capodanno=新年)

という内容からも分かる通り、

今の生活から外へ踏み出る、その第一歩が今日。

浮足立ちまくりである。

それがたとえ、マスクを着けなければいけないとしても、

200m圏外に散歩に行けるだなんて!!!

 

楽しみにこの日を待ち焦がれ、

あぁ、きっと5月の新緑がいつもに増して

眩しく感じるに違いない。

 

と、思っていたけれど

これを書いている17時現在、

外に出れていない。

 

子どものオンライン授業の準備その他もろもろ

日常に忙殺されている。

 

誰にも言えていない、私の今のストレスを

ここに書いてもいいでしょうか。

 

子どものオンライン授業の親への負担は想像以上。

これは年齢や性別、性格もあるので

一概には言えないことはもちろんだ。

 

この生活が始まってからというもの、

私の中で一番避けたかったのは、

子どもたちの、この大切な年齢で

「学ぶ」ことが停止してしまうこと。

 

 

私のようなアラフォーの1か月と

子どもの1か月は人生における重みが違う。

 

学校によって、

いや、

イタリアだから担任によって

温度差はあるにせよ

それぞれ手探りながら

まさにPiano Piano進めてきてオンライン授業。

毎日のリズムも出来てきたし、

何よりも「宿題」という復習型ではなく

学習が少しずつ進んでいる。

本当に喜ばしいし、

先生たちの努力にも感謝は尽きない。

 

一方で、同時に進んでいるのが私のストレスだ。。。

まさにストレスもPhase2。

 

毎週送られてくる課題を自分も理解し、

印刷し(しかも極力、印刷量は減らしたい)、

期日内に終わるように計画を立てる。

そして毎日、朝から夕方まで

放っておけば遊び惚ける子どもを注意し、

追加で課題がパラパラ来る。。。

 

しかも有難いことに、

今までは月曜日のその週の連絡だったのが

今は土曜日とか日曜日に

先生が翌週(翌日から始まる)の課題を送ってくれて、

でも中には、翌日月曜日授業で使う課題が入ってたりして、

週末も休まらない。。。

ゴールデンウイークがほしい。。。

 

と、完全な愚痴でした、ごめんなさい。

 

でも、家の中からでも

今日から街が少し動き始めたことは十二分に感じられるほど

車の音が激しくなり、

クラクションも聞こえるようになりました。

人が怒って叫ぶ声も(苦笑)

 

そして、

なによりもこの数日、

救急車のサイレンが減っていました。

 

あと2週間が正念場だそう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

非日常が日常になり、その先は・・・?

4月20日、久しぶりの雨のミラノ。

外出は出来ずとも、雨だと憂鬱さが増すのは

私だけではないはず。

 

この外出規制の生活に入って、

何日とかあまり考えないようにしているけれど、

1か月はだいぶ前に過ぎたので

あえて言うなら、最後に学校へ登校した日から

2か月が経とうとしています。

 

新規感染者は未だに増加するものの

その数は一時よりも落ち着き、

ミラノ市内の大きな病院の集中治療室も

患者さんが減ったので一部閉鎖した。

とか、

ベルガモの教会で埋葬されるのを

待機していた棺桶がゼロになった。

とか、

兆しは見えつつあります。

これに伴って、

医療現場で働く人たちも、

少しでも休める時間が増えていることを願うばかり。

 

巷では、

昨今のニュースの話題はフェーズ2について。

タスクフォースが組まれ毎日議論されているようです。

 

今の見通しでは学校や幼稚園の再開よりも先に

経済活動を再開しようという方向なようで、

子どもは自宅にいるのに、どうやって仕事に行くのか?

(いつものように祖父母には預けられないので)

子どもの目線でも議論をしろ!

子どもたちの心理的負担、

家庭内暴力から逃げ場のない子どもたち…などなど

こんな話がさかんに聞こえてきます。

 

一方で、私たち生活者の実感としては

外出しない生活が完全に日常になってきています。

例えば、この一週間、食料品やスーパーの列が短くなりました。

パスクワ前に買いだしたからかもしれないけれど、

明らかに人が少ない。

そして我が家も先週は一度も買出しに行かずでした。

 

一つは、この生活が始まった当初は

なんとなく頑張って作っていたご飯が

普通のいつものご飯になったのだと思います。

例えば、時間もできたしケーキ作ったり、

パスタ打ってたりしたけど、最近あまりやらなくなりました。

みたいな。

つまり、この生活に特別感がなくなったのではないかと見ています。

 

もう一つは、心に余裕が出てきたのではないかと。

 

私自身の話をすれば、

いつか物流が停滞するかもしれない、

家族の誰かが感染したら、

その期間は何とか買い物に行かずとも生きていけることを

2月下旬から考えて生活してきました。

 

だから、

パスタ10袋とか買い占めたりなんてしないけれど、

買い物に出た際には、

まだストックあるけど1つ買っておこうかな。。。

みたいな感じのちょっとした不安感が

色々なところで沢山ありました。

 

でも、この1・2週間で、そういうのが減った気がします。

 

生活は何ら変わらず、

外にも出ないし、友人にも会えない。

何日になったら公園に行けるという見通しも

まだ定かではないけれど

スーパーに行けば、品物はちゃんとあること。

デリバリーをするお店も増えてきたこと。

子どもの学校のオンライン授業も進んできたこと。

安心させてくれているのは、

そういう積み重ねなのかなと思います。

 

今まで送ってきた生活が変わることは

どんな状況でも勇気のいることだし、不安です。

でも、その変わった先にはまた別の道が見えている。

 

日本もこれをテイクチャンスに

ハンコやめるとか、

9月入学にするとか、

今までなかなか踏み込めなかった領域で、

確かにそれは日本の文化ではあるのだけれど、

この時代にはそぐわなくなってきた物事を

やめるいい機会なのではないかと心から思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ロックダウンから3週間で見えてきている課題。

ロックダウンされてからはや3週間。

 

ひたすら家にいる限りにおいて、

私たちは何も変わらない。

 

それでも新規感染者は増加の一途。

どこで感染しているのか、全く想像がつかない。

私の周りにいる人たちは、

モラルがあるということなのか?

唯一の外出、それも週に1度程度だけれど

買い物も命がけで行け

ということなのかもしれない。

 

犬の散歩とか人と接触することはなくても

外に出るのがいよいよ怖くなり、

夜中にふと眼ざめ、

今まで感じたことのない恐怖に不安になることもある。

 

4週間目になって、イタリアで深刻になってきた問題がある。

 

それは、社会的格差。

と書くと、

なんだかチープな話題になってしまいそうなのだけど。

 

元々、イタリアの経済が苦しかったのはご承知の通り。

正規雇用すると雇用者の負担が大きいため、

NERO(ネーロ=黒)と呼ばれる雇用が罷り通っている。

つまり雇用登録されない、闇の中での雇用なので

キャッシュで収入を受け取る。

 

イタリアは南北で経済状況が「天と地」は

言い過ぎかもしれないけど、全く異なる。

 

がゆえに、南にはNEROで働く人たちも多い。

 

彼らは当然この数週間仕事はなくなり、

かつ、政府の補償対象からも漏れてくる。

ナポリやバーリ、シチリアのパレルモでは

本気で食料品を買えない人が続出している。

 

贅沢なものを買うわけではない。

 

本当に明日のパンが買えないのだ。

 

イタリアは元々、生活困窮者に対して

パンなどの食料を配賦する団体がある。

日々、配賦場所には行列ができていた。

 

この数週間、どうだったのか分からないが

彼らに対する補助を拡大していくようだ。

当然、その対象者も増えている。

この国にどれだけ体力があるのか。。。

 

これは日本にも必ず訪れることだ。

私から見て、日本は生活に困窮している人たちが隠れやすい。

 

でも、来月の家賃を払えない人たちはいるはずだし、

買出しに行く纏まったお金もない人もいるだろう。

心底、牛肉商品券とかじゃなくて良かった。

現金10万円なら毎月補償するくらいが必要だろう。

 

私たちのような企業に正規雇用されている人は

政府からの現金は不要だと思う。

企業の法人税を減税するなどして

給与を支払う企業の体力を支えれば良い。

その分、ちゃんと必要な人のところに届くように

期待は低いながら、切に願う。

 

この状況のイタリアにいてもなお、

私は日本の方が心配だ。

 

それはきっと、

自分が参政権を持つ国だからだと思っている。

 

 

 

 

 

 

 

外出ができない生活の実態

皮肉にもミラノにも春は訪れ

お天気の良い日が続いているのに

外出ができないだなんて

さぞ退屈だろうと想像されているだろう。

私もさぞ退屈だろうと思っていた。

 

でも、私たちの子どもの頃とは

生活環境が全く違うということを改めて感じる日々。

 

まぁ、これは元々の性分もあるし

子どもにとっては公園に行けない、

友人に会えないのは本当に酷なことだと思う。

 

でも、意外に忙しい。

「毎日、穏やかながらに、あっという間に一日が終わる」

という表現が合うかな?

子どもは毎日、宿題やらオンラインレッスンやらをこなし

私はそれを監督しつつ、

自分のやらなければいけないことをやり、

身体を動かすことに付き合い、

三食の食事を作る。

 

 

そうもしていると、

例えば平日の午後にダラっと映画を見る時間はない。

休日がちゃんと待ち遠しいのだ。

 

通常の生活をしていた時は、

子どもが電車や飛行機などで

iPadばかりいじるのが気になって

あえて触れさせずに、

「何もできない時間を過ごすこと」を

させることもあったけれど、

ネット環境があって、Amazonが届く限り

何もしない時間を作るってかなり難しいのだと思う日々。

 

 

と、外出できない以外

本当に普通の生活をしているのです。

 

 

 

あの日から4週間が経過。

2月21日にロンバルディア州で

最初の感染者が出たあの日から

4週間が経とうとしている。

一体、誰が1ヶ月後の今のイタリアを

想像していただろうか。

 

本格的な外出禁止になって2週間。

それでも個人的な運動をする人(主にランナー)をはじめ

外出してしまう人が多いようで

ついに外出しないようにアナウンスする

パトカーも巡回するようになった。

 

個人的な公共の場での運動もできず、

犬の散歩も200m圏内になった。

(昨日、記事を読んでタバッキの営業休止、

スーパーの日曜日営業休止と書きましたが、

地域によって異なるようです。ごめんなさい。)

 

 

家にいる限りにおいて、

日々、各々がやらなければいけないことをこなし、

冷蔵庫&冷凍庫と相談し、

1時間くらい並ぶのを覚悟で買出しに行く。

楽しみは朝昼晩のご飯と

オンデマンドで観る昔の連続ドラマ、

そして今宵もベッドで寝れること。

 

家で穏やかに過ごすことができるのは有難い。

むしろ、突然明日から外に出て

現実に戻りましょうと言われたら

ちょっと戸惑ってしまうかもしれない。

 

でも、実際は日に日に落ち込んでいくのを実感している。

それは、自分たち自身の変化ではない。

毎日、毎日、亡くなった人の増加を追い、

医療現場の悲痛な叫びに耳を傾け、

霊柩車がもはや足りずに軍用車で遺体が運び出される写真を目にする。

そんな非日常の終わりが未だに見えないからだろう。

 

もちろん、

医療現場で働く人の精神と疲労状況は

想像を絶する領域にあることは想像に難くない。

だから甘えたことを言いたいのではない。

 

ただ、出口がほしい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

封鎖から数日が経って

日曜日にロンバルディア州の封鎖が始まり、

今はイタリア全土になった。

 

飛行機もどんどんなくなって、

孤立状態なイタリア。

日本への入国も邦人であれば可能なものの

PCR検査を受けなければならず、

公共交通機関では帰宅できないらしい。

タクシーもNO。

これって、東京都の人にはなかなか

難儀なことですよね。。。

レンタカーはOKだけど、

14日間隔離だとしたらどうやって返すんだ?

 

 

この数日、

「とにかく家にいて」

「他の人のことを考えて」

「あなたにとってはただの風邪でも、

隣の老人は命を落とすかもしれない」

的な啓蒙メッセージが出回ったからか、

マスクする人が激増。

 

漸く、本気モードになった。

正直私もようやく。。。

 

12日からは食料品と医薬品以外のお店は原則休業、

レストランはデリバリーのみ可能だそう。

 

日本は他国よりも災害慣れしていると思うし、

緊急時などを想定しつつ生きている。

でも、今置かれている状況はインフラも閉ざされた

目にも明らかな悲惨な状況とはまた異なる。

 

目に見えない何かと闘っている感じ。

 

イタリアは検査し過ぎたらしい。

批判的な意見もあるけれど、

真摯に、隠さず行ってきた結果でやるせない。

でも現実、呼吸もままならない人が運び込まれ医療が崩壊している。

検査して陽性だった人が皆病院に行くからだけではない。

思っていた以上に強いウィルスなのかもしれない。

今、私たちは、何としても病院に運び込まれることは避けなければいけない。

この恐怖も目に見えるものではない。

この目に見えないが厄介。

だからここまで来るのに時間がかかったのだろう。

 

今、私がここで強く思うのは

医療現場で働く人はもちろん、

スーパーで働く人、レストランで働く人、

食料品や医薬品の工場で働く人、

デリバリーで運んでくれる人、

公共交通機関で働く人みんなに

心から感謝したい。

 

私たちができることは家から出ないこと。

それだけだ。