イタにち日記。

イタリアでの生活、外から考える日本のこと、感じたことをつれづれ書いています。   何よりも数年後の自分自身がこの感覚を忘れないように。

非日常が日常になり、その先は・・・?

4月20日、久しぶりの雨のミラノ。

外出は出来ずとも、雨だと憂鬱さが増すのは

私だけではないはず。

 

この外出規制の生活に入って、

何日とかあまり考えないようにしているけれど、

1か月はだいぶ前に過ぎたので

あえて言うなら、最後に学校へ登校した日から

2か月が経とうとしています。

 

新規感染者は未だに増加するものの

その数は一時よりも落ち着き、

ミラノ市内の大きな病院の集中治療室も

患者さんが減ったので一部閉鎖した。

とか、

ベルガモの教会で埋葬されるのを

待機していた棺桶がゼロになった。

とか、

兆しは見えつつあります。

これに伴って、

医療現場で働く人たちも、

少しでも休める時間が増えていることを願うばかり。

 

巷では、

昨今のニュースの話題はフェーズ2について。

タスクフォースが組まれ毎日議論されているようです。

 

今の見通しでは学校や幼稚園の再開よりも先に

経済活動を再開しようという方向なようで、

子どもは自宅にいるのに、どうやって仕事に行くのか?

(いつものように祖父母には預けられないので)

子どもの目線でも議論をしろ!

子どもたちの心理的負担、

家庭内暴力から逃げ場のない子どもたち…などなど

こんな話がさかんに聞こえてきます。

 

一方で、私たち生活者の実感としては

外出しない生活が完全に日常になってきています。

例えば、この一週間、食料品やスーパーの列が短くなりました。

パスクワ前に買いだしたからかもしれないけれど、

明らかに人が少ない。

そして我が家も先週は一度も買出しに行かずでした。

 

一つは、この生活が始まった当初は

なんとなく頑張って作っていたご飯が

普通のいつものご飯になったのだと思います。

例えば、時間もできたしケーキ作ったり、

パスタ打ってたりしたけど、最近あまりやらなくなりました。

みたいな。

つまり、この生活に特別感がなくなったのではないかと見ています。

 

もう一つは、心に余裕が出てきたのではないかと。

 

私自身の話をすれば、

いつか物流が停滞するかもしれない、

家族の誰かが感染したら、

その期間は何とか買い物に行かずとも生きていけることを

2月下旬から考えて生活してきました。

 

だから、

パスタ10袋とか買い占めたりなんてしないけれど、

買い物に出た際には、

まだストックあるけど1つ買っておこうかな。。。

みたいな感じのちょっとした不安感が

色々なところで沢山ありました。

 

でも、この1・2週間で、そういうのが減った気がします。

 

生活は何ら変わらず、

外にも出ないし、友人にも会えない。

何日になったら公園に行けるという見通しも

まだ定かではないけれど

スーパーに行けば、品物はちゃんとあること。

デリバリーをするお店も増えてきたこと。

子どもの学校のオンライン授業も進んできたこと。

安心させてくれているのは、

そういう積み重ねなのかなと思います。

 

今まで送ってきた生活が変わることは

どんな状況でも勇気のいることだし、不安です。

でも、その変わった先にはまた別の道が見えている。

 

日本もこれをテイクチャンスに

ハンコやめるとか、

9月入学にするとか、

今までなかなか踏み込めなかった領域で、

確かにそれは日本の文化ではあるのだけれど、

この時代にはそぐわなくなってきた物事を

やめるいい機会なのではないかと心から思います。