イタにち日記。

イタリアでの生活、外から考える日本のこと、感じたことをつれづれ書いています。   何よりも数年後の自分自身がこの感覚を忘れないように。

そもそもの衛生概念。

じつに、3か月ぶりにレストランで食事をした。

 

結論から言うと、

その場で食べるパスタは

すごく美味しかった。

 

でも、

外食は正直キツイなぁと思った。。。

 

なぜかというと、

イタリア人の衛生概念が信頼できないことに

今更気づいてしまったからだ。

 

渡されたメニュー・・・

拭いているだろうか・・・

この塩、着席前からあったけど・・・

客が帰った後、消毒しているのだろうか・・・

 

などなど。

気にしだしたら尽きないのだ。

 

マスク一つとっても、

私たちはやはり慣れているので

暑苦しさを除けば、ずっと着けていられる。

でもイタリア人たちは違う。

マスクだけでもハードルが高い。

しかし、

マスクをつけて接客していれば大丈夫なのではない。

 

色々な人の話やブログ、自分の経験から見ても

イタリアに限らない話だけれど、

そもそもの衛生概念が日本とずいぶん違う。

 

公共のトイレを見れば一目瞭然なのだけれど。

 

レストランでお手拭きが出ることはまずないし、

我が家へ来ても食事前に手を洗ったイタリア人は

1人しか見たことない。(この人はたぶん、神経質。)

 

何よりも、家に土足で入ることができる。

ぶっちゃけ、私はかなり清潔感に疎いけれど、

それでも利便性とか習慣以前に無理だ。

 

つまり、イタリア人たちはそういう人たちなのだ。

 

ちょっと前は日本は潔癖過ぎだと思っていた。

いや、今も思っている。

手を消毒ばかりしていたら

常在菌がなくなって、

別の問題が出るんじゃないかな・・・

とか、

日常生活内の菌に過敏になっていますが

そのケミカル、口に入れるんですか?

とか。

 

でも、今のこのご時世は

潔癖な方が安心かもしれん。

 

 

 

 

 

 

今ごろ目の当たりにしている、イタリア社会。

6月3日からいよいよ、州の境も開く。

暫くはとりわけ状況の悪いロンバルディア州は

様子を見るだのなんだの言われていたけれど、

全国一律には入れたようだ。

正直押し切ったように見える。

 

状況は日に日に良くなっているし、

生活も日常になりつつあるのに

私はとてつもなく心が重くなっている。

 

理由はいくつか思い当たるのだが、

そのうちの1つは、

今、私はイタリア社会のすごく嫌な部分を

目の当たりにしているからに思う。

 

私の周りにいるイタリア人は

飛びぬけたお金持ちはいないけれど、

皆、仕事は安定しているし、

子どもも私立に通っている人も多く、

Seconda casaと言われる別荘を持っている。

 

だから彼らは今、

バカンスのことで頭がいっぱい。

 

いつものように気軽に

外国の海には行けないかもしれないけど

海に山に、十二分に選択肢を持っている。

 

ミラノの自宅から第2の家へ場所を移すだけで、

人を集めるわけではないし、

その海の家でもスマートワークをしたりするのだろう。

 

一方で、このCovid-19で生活が苦しくなっている人は

バカンスどころではない。

仕事を失い、

新しい仕事が見つかる希望も薄い。

彼らが見ている先はちっとも明るくない。

 

余裕のある人たちが

悪いことをしているのではないから

批判したいのでは決してない。

 

ただ、この明るさと暗さが目の前にあって、

私は、心が押しつぶされそうになる。

 

そして、自分の周りにいる人たちの余裕さに

気持ちが全然ついていかないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

イタリアのオンライン授業の様子

子どもの小学校が

オンライン授業に切り替わって

はや…2か月以上が経つ。

 

日本人の私から見て

実に興味深いイタリア人の気質というか、

緩さが垣間見れて面白い。

 

もちろん、

きちんとした人が殆どで

ごく一部の人の話。

 

ある日、体育の先生から学級委員経由で

・朝食は授業の前に済ませること

・服をきとんと着ること

・動きやすい服装にしてほしい

という連絡がきた。

 

グループが分かれているので

朝早いグループで、オンライン授業をしながら

朝ごはんを食べている子どもがいたようだ。

 

そして、また別の子どもは、

ある日、画面に全身が映ったら

パンツしか履いていなかった(笑)

 

しかも、この注意は体育の授業での話で、

別の授業では朝ごはんも許容されている。

 

午後の授業になってもパジャマの子もいるし、

授業によってはベッドで寛いで

PCを見ている子もいる。

 

だらしないし、私は子どもには注意するけれど

私は、このイタリア人のこの寛容さが好き。

 

一方、日本語のオンラインでは

うっかり絵文字をチャットに送ろうものなら

即注意を受ける。

 

息苦しさと、

ゆるさと。

 

共存しないものなのか。

浮足立つミラノ。

この月曜日から、

外出理由や目的地を書いた自己宣誓書の携帯も

州内での移動では不要になり、

マスクを身に着ければ心身ともに

身軽に外へ出られるようになった。

 

この自己宣誓書も、

イタリア人にとったら

適当にやり過ごすのだろうけれど、

私たち外国人、

いや、

ルールを守る日本人だからか?

我が家では政府の思惑通り

心の足かせになっていた。

 

月曜日から日が経つにつれ、

確実に人出は増えているし、

外席でアペリティーボをする姿も見る。

 

久しぶりに連絡をとった友人は、

6月下旬からバカンス第1弾に行く予定が立ててあった。

 

明らかに浮足立っている。

長かったあの春の2か月、いや3か月。

そりゃ、こうなるにきまってる。

 

ニュースでもラジオでもしきりに

注意喚起がなされている。

ロンバルディア州は新規感染者数が

また増加し始め、

しかも症状のある人も増えているとのこと。

 

来月3日から州を越えた移動が可能になる見通しだが、

今、報じられている素案は

コロナウィルスの危険レベルを数値化・3段階に分け

同じレベル内での移動のみ可能にするもの。

 

因みに今日の感じだと、

危険レベルが高いロンバルディア州からは

ウンブリア州とモリーゼ州しかいけない。

 

どうなるのかな…

と、先行き案じながらも

私も出かける計画立てないと(苦笑)

 

いつかと思っていてはいけない。

機会は逃してはいけないのだ。

 

 

 

新たな日常のはじまり。

5月18日から本格的なphase2が始まる。

 

この2週間は外出できるとはいえ、

散歩と公園くらいなものであったし、

会えるのは別に暮らす家族だけだったけど

今日からは友人にも会える。

生活必需品以外の商店、レストランも美容院も再開する。

 

と言っても、

とりわけレストランはルールが厳しすぎて

そしてルールが出てきたのが土壇場過ぎて

暫く様子見するところが多そうだ。

 

そして6月3日にはEU内のアクセスが可能になる。

14日間の待期期間もいらない。

 

えっ?!

 

減ったといっても、

今も毎日150人~200人程度の方が亡くなっている。

日本から見れば目が飛び出る数字。

重症者を受け入れるキャパが出来てきたから

経済活動を再開させなければという感じなのかな。

まぁ、EUの他の国がイタリアからの人間を

温かく迎えてくれるかはわからないけど(苦笑)

 

正直、国境が開いても飛行機に乗って

旅行に行く気分にまでまだ心は回復していない。

私の感覚からすれば、時期尚早な気さえする。

 

それでも、

この数日、散歩をしているときに

あの3月中旬から4月上旬、

あれは悪夢を見ていたのだろうか?

という不思議な感覚が沸き上がる。

 

あの、ベルガモでの軍用車が遺体を運ぶ為に待機している列。

教会の床中に並べられた棺。

国会で涙の演説をしたベルガモの政治家。

 

ウィルスが空気中に見えているわけではないけれど、

家の窓から見えていた外の景色は

明らかに重い空気だった。

 

太陽が出ていても。

 

それは、交通量が激減している中で

いつも以上に聞こえてくる

救急車の音のせいだったのかもしれない。

 

通りを歩く人、

スーパーでの列に並ぶ人、

みんな暗かった。

 

同じマスクを着けていても

今とは全く表情が違う。

 

ジェラートを食べるのに30分並ぶのだって、

今は、笑顔で並べる。

 

現状への感じ方はひとそれぞれ。

 

これからは、とにかく周りに流されないことが大事だと私は思っている。

 

 

 

 

 

 

 

Arteのオンライン授業

今日はArte(美術)のオンライン授業の話を。

 

休校になって以降、Arteの授業では

毎週課題が出される。

 

例えば「Albero 木」の絵を描くとか、

「Rosso 赤」をテーマに

家中の赤い色が出るもので色を表現するとか。

 

私が記憶している小学校の図工から見れば、

ずいぶんクリエィティブだなぁと

日々、日伊の違いを感じるArteです。

 

普段、ヘッドフォンをつけて授業をしている子どもに頼み

初めて授業をしっかり見てみた。

課題は「チューリップもしくはバラ」だった。

集まった子どもたちの絵を

先生が紹介してコメントしたり、

本人が説明したり。

 

日本だったら赤か黄色かピンクの

あのチューリップの絵を想像してしまうけれど

授業で紹介された絵は、

実に個性豊か。

 

形も色々。

バラとは全く思えない形をした花もあれば、

ジャックと豆の木のシーンのような

ストーリー性がある絵を描く子ども。

1つのチューリップが赤黄青の3色花びらだったり。

(あの日本の宗教ではないはずだけれど、笑)

 

私のしょぼくれた目には失礼ながら

なんだこの絵。。。とっちらかったチューリップだなぁ。

と思うようなものも

子どもは「Che bello!」と言うから

美的感覚もすでに違うらしい。

 

一体、私たちはいつから、

空高く描く太陽は赤く、

花はピンク色を塗るのだろうと

私は思っていたようだ。

すごく印象に残っている場面がある。

 

日本で保育園見学をしていた時に

廊下に貼ってある絵をみて、

確か紫陽花だったと思うが、

皆、似たような色で紫陽花を描いていた。

 

園長先生に、

「これはこの色で描くように言っているのですか?」

と質問したら

「直接は言わないけれど、

「どんな色だったかな???」など

見た色を促したりしています」と教えてくれた。

 

自分の記憶の中でも 

写生が多かった気がする。

見たものを忠実に描く。

よりリアルに、キレイに描けた子どもが一番上手。

 

一方、私の子どもがイタリアの学校から

今まで持って帰ってきた絵の中に

写生したであろう絵はない。

何か対象物はあったとしても、

写生したとは分からないほど

アレンジが加えられている。

 

 

私がとりわけ、

このArteの授業が好きなのは

自由さ、上手とか下手とかではない見方、

まさにイタリア文化への羨望の現れだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちょっと感動した子どものオンライン授業。

 

2月下旬からミラノでは学校が休校となり、

最初は1週間分の宿題が送られてきて

各自こなして提出するという

一方通行だったところから、

ZOOMを利用してのオンライン授業が始まった。

 

オンライン授業と言っても、

当初は挨拶程度だったものが、

今はグループを分け、

イタリア語・算数・英語に加え

音楽や美術などの授業も始まり・・・

と模索しながら進んできた。

 

当然ながら普段は学校で学習しているから

私自身がこんなに子どもが学ぶシーンに

寄り添うことはなかったわけで、

今更ながらに発見や驚きなどがある。

 

中でも、特別授業というのがあった。

その日は前もって以下の準備をするように連絡があった。

・真っ暗な部屋で(せめてランプ1つ)

・氷あるいは凍らせたボトルを入れた透けない袋

・エレガントな服

 

外出しない今の時期に

この時間のためだけにエレガントな服を着て

洗うのか。。。

と、思っていたのだが

 

・・・なんの授業だったか想像できますかね?

 

それはBig Bangの授業。

 

真っ暗にして、

氷の冷たさを感じる。

Big Bangが起こる前の冷たさ。

 

昔も、

そして今も

地球は変化してきているのだ。

 

ということを説明していた。

 

ま、エレガントな服装というのは

イタリアらしいというか、

特別な時には特別な装いをする

というだけの事だったけれど(苦笑)

 

感動ですよね。

 

この限られた状況で、

できない理由を探して

そのままいるのではなく、

できることを探していく。

 

こういう姿勢を日本にいても

忘れないようにしなければいけない。