イタにち日記。

イタリアでの生活、外から考える日本のこと、感じたことをつれづれ書いています。   何よりも数年後の自分自身がこの感覚を忘れないように。

プールで感じた車椅子の生活

4月10日(水)曇り。

 

陽が出ると暑いと感じるほどなのに

最低気温は10度を下回る。

 

たまにだけど通うプールで感じたことを

今日は書こうと思う。

 

近所にある市民プールは、

医療施設と提携していて、

車椅子の人もプールに入れるように

脱衣所の造りはもちろん、

椅子に座った状態で水中に降ろしてあげる器具などがある。

 

 

前回も、片手だけで泳いでいる人がいて、

右手だけ特に鍛えたいのかな、

それにしてもすごいなーーと感心していたら、

下半身そして片腕が麻痺している人だった。

 

もちろん、老人向けのクラスも豊富。

 

余談だが、

日本のプールは水中歩行用に

1レーンが浅くなっていたりするけれど、

こちらのプールは半分から、

つまり15メートル辺りから

シンクロできる深さになるプールが殆どなので、

子ども向けの浅めのプールがあれば

水中歩行している人を見かけるものの

それ以外は老人だろうがゆっくりでも泳ぐ。

 

日本で車椅子対応のプールを見たことが

ないのだけど、パラリンピックもあるし

きっとどこかにあるのだろう。

 

ここでは、車椅子の生活が日本にいた時よりも

とても近く感じる。

自分の近所でもバールでいつも

お酒を飲んでいる車椅子のおじいちゃんがいたり。

 

私みたいな外国人が身体が不自由で

温かく接してもらえるのか分からないけど、

プールでも、サッカースタジアムなどでも、

日本ほど車いすでの生活が特別に感じることがなく、

ふつうにそこにいられるっていいなと思った。

 

なのに、残念ながらイタリアの駅はバリアだらけ(苦笑)

1年半。

3月27日(水) 晴れ。

 

今、日付を書いて驚いた。

もう4月ではないですか。

 

さて、タイトルの1年半。

子どもの習い事のお母さんたちに

私の名前を呼んでもらうようになるまでかかった時間。

 

と、日本の数年前にあったドラマのような話だけど、

ここは名前で呼ぶ国なので、日本より深刻かな(苦笑)

しかも週2回以上会う人たちだ。

 

それまでは殆ど「〇〇のママ」だった。

1つは日本人の名前は覚えにくい名前であることは事実。

この国には限られたパターンの名前しかないので、

情報処理が追い付かないのだと思う。

 

2つめは、外国人はやっぱり外国人同士で、というべきか

他にもイタリア人でないお母さんはいるけれど、

わざわざイタリア人の輪に入ろうとはしない。

 

でも、輪に入らないと色々やりにくくなり、

頑張るようなことではないかもしれないけど、

この2か月私は意識して輪に入った。

 

ようやく。

ようやく名前で呼んでもらえるようになって

グループチャットにも入れてもらえた。

一人心の中でガッツポーズだ。

 

という話を夫にしたら気の毒そうな顔をされた(苦笑)

しょうがない。

それが自分で決めた、今の私がやるべきことだから。

 

 

 

 

イタリアの御葬式

3月22日(金)晴れ。

 

気づけば3月も終わりが見えてる…

色々書きたいことはあるのに

すっかり更新がご無沙汰になってしまいました。

春の訪れは例年よりも早く、

咲き乱れていたお花があっという間に、

新緑の葉で満ちあふれています。

 

更新が滞っていた間に、

哀しいことにお葬式に参列する機会がありました。

ご作法が分からず、色々聞いたり調べたりしたことを

いつかの誰かのために書いておきます。

 

今回、故人がゆかりのある教会で執り行われました。

 

まず、服装。

こちらでは全身黒だと寧ろ目立つというブログを読んだので

私はズボンをグレー、それ以外は黒にして行きました。

ダウン着たいな…と思う気候でしたが、

ちょっとカジュアル過ぎかな…普通のグレーのコートで。

 

コート着たままだったので、

しっかり仲までチェックはできていないけれど

実際、周りの人はとてもとてもカジュアル。

全身黒の人はとても少数。

え、それいいの?!くらいな感じでした。

もちろんダウンOK、ふわふわのバッグの人も。

ただ、色味は地味。

日本人の感覚で失礼のない服装で行けばOKです。

 

受付。

日本のようにお香典はなく、

記帳ノートが置いてあるのでそこに名前を記載します。

 

式中のご作法。

私はキリスト教信者ではないし、

不勉強なので周りの人が立てば立つ、座れば座るに従いました。

知人から受けたアドバイスでは、

神父様のところに聖体をもらいに行く儀式があるそうですが、

この時は信者ではないので行かないで座っていればいいと言われました。

が、私の参列した式ではこの儀式はありませんでした。

 

時間。

私の中で一番の盲点がここ。

式は14:45からなのでその前に

子どもたちが話したりできるように

14:30くらいに来てねと言われ、

オンタイムで着いたら、

式始まってるの?!というほどの大勢の人、

そしてすでに高まったお葬式のムード。

だいぶ前もって着いたほうが良さそうです。

 

式自体は30分程度でしょうか。

終わった後に家族に声をかけあい、

霊柩車が出発するのを見届けて終わりました。

埋葬は、家族など近親者のみが行く場合もあれば

ミラノあたりは知人友人も行く場合もあるそう。

 

日本のようにお香典いくら包むとか

喪服がない!などの心配ではなく、

純粋に亡くなった人とその家族に寄り添う気持ちが

あればいいこちらのお葬式は、

私にはとても温かく感じました。

お花がオレンジだったのと、教会の照明の色のせいかもしれないけど。

 

でも、改めて感じたのは

日本の教育は個性を高める教育ではないし、

暗黙も含めてルールが多い文化だけど、

今回のようなシチュエーションに遭遇した場合でも、

場を乱さないようにする感覚は長けてると思うので、

これはこれで、とても大事なことだなと思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

プールのご作法。

2月26日晴れ。

 

暖かい日が続き、花粉を感じる今日この頃。

 

夏に向けてプールに通う人も増えるイタリア。

体型を気にせずビキニを着れるこの素敵な国でも

やはり少しは頑張っておこうと思うのか。

 

いつかの誰かのために、

イタリアのプールに行くときの必携品を。

なかなかお国事情の違いが見える。

 

水着→競泳プールならワンピース型が無難

   泳ぎやすければビキニでもイケる。

帽子→どこのプールでも絶対に必要。

   髪が出ないようにする必要あり

ビーサン→裸足には絶対!にならないのがこの国。

   そして日本のようにトイレにスリッパはない。

鍵→ロッカーはあれど鍵は持参するのがイタリアスタイル。

バスローブ→タオルよりもバスローブが一般的なので便利。

石鹸類→日本はなぜシャンプー禁止なのか?

    遊泳後、ここではみんな必ず使ってる。

 

入り口でビーサンに履き替え、着替え、

ロッカーに荷物を入れてシャワーを浴び、

バスローブを着てプールへGO。

 

ドライヤーは心配することなかれ、

濡れた髪はご法度なこの国はどこでも潤沢にドライヤーがある。

この国では驚くほど”髪が濡れたまま”はNGなのだ。

 

プール初心者の頃は、勝手分からずあたふたしたものだ。

特に日本のプールでは不要だった鍵とビーサン。

 

が、さらに想像を超えるルールがあった。

お隣おフランス。

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分かりますか?

トランクスが禁止なんです。

(2019/9追記:この法律はなくなったようです。)

理由は調べたけど私の検索力では分かりませんでした。

とりあえず、ブラブラさせてはいけないけど、

帽子はかぶらなくてもOKでした。

 

Ciao!

 

 

 

ボヘミアンラプソディをイタリア語で観る。

2月22日(金)

 

早くも春がやってきてしまった気候のミラノ。

あんなに待ち遠しかったこの暖かさなのに

あまりにも早いと、色々心配になってしまう。

 

万引き家族からの流れでタイトルを書いてしまったけれど、

日本でも高評価というボヘミアンラプソディを見た。

もちろん、イタリア語だから違和感どうこうという話ではない。

 

大きく感動するとか、心動かされることはなかったのに

見た後もQUEENの曲が頭の中でかかっていて、

映画の中のフレディ・マーキュリーの姿が目に焼き付いている。

そんな映画だった。

 

今日はネタばれしないように気を付けながら、

映画館でちょっと気になったことを書いておきたいと思う。

 

フレディ・マーキュリーが両性愛者であったらしいことは

周知の事実のようだが、この映画に限らず、

一昔前なら、絶対に日本のドラマでも描かれなかったような

LGBTに関して、いたるところで目にするようになり、

 

本当に世の中の扱い方が変わったなと気づかされることしばしば。

因みに、私が記憶している最初のこのテーマは

金八先生の上戸彩なのだが。

 

この映画でも、フレディ・マーキュリーが両性愛者であることに

目覚めるきかっけとなったシーンや、

男性のパートナーとのシーンなど、

その度に映画館で笑いが起きた。

 

少しライトにするためにコミカルに描いているのか

異性愛者の私たちにはそう映ってしまうのか、

私には分からない。

でも、なんだかとても複雑な気持ちだった。

 

保守的な国だからか、

アメリカ(行ったことないけど)などから見たら

公然と歩いているカップルを見かけることは超少ないのだと思う。

 

でも、アパートの窓にレインボーカラーの旗を

飾っている家はよく見かけるし、

ドゥオーモ周辺でのデモもたびたび行われている。

 

一見、人種が多様な国なので

人と違うことに関しては日本よりは遥かに

受け入れられる土壌があるように感じているのに。

 

この頃、ミラノ市内の公立の学校で移民が増え過ぎて

イタリア人が学校選びに困っている話を聞く。

 

どちらも道のりの長いテーマだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

イタリアのインフルエンザ

2月9日(土)

 

イタリアでも流行しているインフルエンザ。

今年は特に大人が感染した話を聞く。

そしてご多分にもれず、とても辛いそうだ。

 

イタリアでは熱なしの鼻水や咳を風邪と呼び、

高熱と関節痛を伴うものをインフルエンザと言うようだ。

 

そう、つまり感染しても鼻に綿棒入れて検査をしない。

 

数日熱が下がらず、病院に行って

抗生物質を処方されて終了する。

 

学校の感染報告対象の病気にも入っていない。

 

日本の異常なまでのインフルエンザに

警戒する社会からやってきた私は

当初、この国の対応に憤りすら感じたほど困った。

 

同じ「インフルエンザ」という病気なのか

全くもって信じられず、

調べたり聞いたりした今のところ

やはり同じインフルエンザと思われる。

 

ちなみに、予防接種は65歳以上、妊娠中の女性、

特定の病気を持つ人は無料で受けられる。

一般的には、他の型に感染する可能性があるから

あまり意味はないという医者もいれば、

少なくともその型には感染しにくくなるから

打ったほうがいいという医者と日本同様。

そして、こちらの保健機関は接種を勧めている。

かかりつけ医で自費負担で40EURくらいだっただろうか。

 

人混みは少ないとはいえ、

マスクしている人はほぼ皆無、

学校でも日本のような規定はない。

かかったら仕方ないという感じ。

日本が過剰なのか。

高齢者や病気の人のリスクは同じ。

休むことへの罪悪感の違いがそうさせているのだろうか。

 

そんな話を咳が出るという友人としていた。

この国の周りに感染させないよう

配慮する感覚の低さについても話していた。

バールで「私たち二人とも40度熱がある」と話す人がいて

慌てて退店経験談も添えて。

 

なんとその友人は、

その晩から熱が出てインフルエンザだった(笑)

旦那がインフルエンザだったと話していたし、

後日、当然ながら一家全員感染した。

さすがに、うつしてたらごめんねと即連絡をくれたけど。

 

咳をする相向かいの席で4時間座っていたけど、

私はうつらなかった。

日本よりも空気が湿ってるということなのだろうか。

 

友人はタミフルを知らないと言っていたけど

イタリアにも存在していた。

今度お勧めしてあげよう。

 

 

 

 

菌に対する考え方

2月8日(金)晴れ。

 

節分を過ぎて寒さがひと段落したと思ったら

また戻ってきた。

まだまだ冬は続くよう。

 

イタリアでもこの時期インフルエンザが流行る。

インフルエンザの話を書く前に

今日はイタリア人の菌に対する考え方への

私の戸惑いを書いておこうと思う。

 

日本はもともと家の外と内を

靴を脱ぐことによってしっかり区別する

習慣もあるからか(と勝手に私が思っているのだけど)

菌に対してとても敏感だと思う。

特に、ファブリーズが家庭に普及してからは

その傾向はさらに強まったように思う。

と同時に、私が子どもの頃には聞かなかった

ノロウィルスやロタウィルスも加速させている。

 

一方、イタリアは今でこそ靴を脱ぐ家は増えたようで、

特に子どもがいる家庭ではね。

と言っていながら

帰宅したイタ父が普通に靴を履いて家に入ってくる光景を見ると

私は、靴を履いて家に入る人たちだと分類している。

 

屋内施設などでも大人が靴で行き来する場所を

ハイハイしている赤ちゃんを見ると

ゾッとするのだけど、イタリア人は平気らしい。

その靴が犬のおしっことフンがそこら中にあるこの街を歩いていてもだ。

 

そんなもんだから、「感染する」という感覚が

日本人よりもないのだと思う。

 

ある日、子どもがお友達のおうちに遊びに行った。

その子どもが道中の車で嘔吐したらしい。

家についてもまた嘔吐し、体調がすぐれなかった。

 

そんなことは誰しもがある。

 

でも私が困ったのは、

私がそれを知ったのは子どもが帰宅してからだった。

夕飯まで食べて帰ってきた後だ。

 

連絡くれれば速攻で迎えに行ったのに。

日本人にとっての嘔吐は空気感染警報のMAXだ。

 

そしてまた最近、

子どもの友達が家へ遊びに来ていつも通りに過ごした。

その翌日、そのお友達は学校を休んでいたらしい。

 

週明け、そのお母さんに会ったので

翌日休んでいたの?と聞くと熱が出たらしい。

ウィルス性によるものでしょうと。

 

ならばなおさら一言連絡ほしかった私。

もちろん遊んでしまったものを

どうこう言うつもりはなくて、

ただ自分の子どもの体調にいつも以上に

気を付けることができるというか、

心構えをしておくことができる。

 

私は正直、このイタリア人の感覚には困惑している。